今しぼりの始まり 綾部に来るまで②

学校では生徒たちに、「タダちゃん」なんて呼ばれていて、生徒がたまに職員室で僕を「タダちゃん」と呼んで叱られることもありました。
私学でもあり、礼儀作法や服装や、言葉遣いをきちんと指導することが大切だったのに、苦手で、他の先生にとって、迷惑な存在だろうと自覚しながらも、中堅になる頃は「多田先生は、あんな先生」という、はた迷惑であろう「地位」(?)をいただいていました。
物理を教える時、「物の理屈」を考えて、疑問を解き明かすことこそが、学ぶ姿勢だと教えてきました。
しかし、「なぜ?」「なんのために?」と考えることは、「従順に指導に従がう」ことと、時折矛盾することもあり、僕自身が板挟みになることもしばしばありました。
多くの学校では、やはりこの「考えることの大切さ」をどこかにおき忘れて、「正しいとされること」に、価値を置きすぎているのではと、思うようになりました。
そんなこともあり、僕が、何百年も続く醤油の世界で、今まで無かった、「育てる醤油」やその場で諸味をしぼる「卓上しぼり器」を考え出せたのは、この学校の環境で、自分なりに迷い、抗って、考える事の大切さにこだわってきたからかもしれません。
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